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京でん 竜田昌雄さん インタビュー

作り手インタビュー ~創作の現場から~
京でん 竜田昌雄さん 「手にした人が誇りにできる もの作りを目指して。」


引っ越し間もない工房兼事務所にて。トレードマークの帽子にメガネ、人懐っこい笑顔には、人をほっとさせるオーラが。

今回ご登場願った「京でん」の竜田昌雄さんは、これまでの作家さんとは少しスタンスが違う、“ブランド”の作り手です。
京都の文化を世に伝えたいという思いをこめた「京でん」を2005年に起業、京友禅とジーンズを融合させたオリジナルブランド「禅」でデビューし 一躍、大きな注目を集めました。
それから11年。その歳月は、従来のファンを大切にしながらも、新たなクリエイティブを追求しブランドとして育て上げることに骨身を削る日々でもありました。
その結果が、ようやく形になりつつあります。
今後の展開への前線基地となる工房兼事務所を訪ねました。

手描き京友禅ジーンズのパイオニアとして

─独立して起業されるまでは、どんなお仕事をされていたのですか。

高校でアルバイトをしている頃から働くのが大好きで、早く社会人になりたくて卒業後はすぐに就職しました。
いくつかの転職の後に入った会社が小さなアパレルメーカーで、最終的には商品企画から営業まですべて任されました。ここでの体験が僕の人生を変えたと思っています。

─会社を背負って立つ勢いだったんですね。

人がどんどん辞めていく中、8年間いましたから。とはいえ自分が着たいと思う商品を扱っているわけではなかったし、企画力がないとよく怒られもしました。社長はワンマンで言うことは矛盾だらけだったし(笑)。でもそんな体験も含めて、本当に感謝しているんです。
だって世の中って矛盾だらけじゃないですか。あの時の経験がなかったら、今とても耐えられないなと(笑)。そのまま勤め続ける道もあったのですが、父の病気で働き方に融通が必要になったので、思い切って退職し、独立を決めました。

─「京でん」にはどんな思いをこめられたのですか。

これまでの経験を生かして自分のブランドを作ることにしましたが、申し訳ないことに「これが作りたい」という大層な志があったわけではないんです。ただ、京都で生まれ育ち、アパレルの経験も京都で積ませてもらったこともあり、自分にとって一番身近な「京都」の文化、技術が広く伝えられるブランドにしたいと思いました。社名もそのまま「京伝」、最初は漢字だったんですよ。

京友禅手描きジーンズ「禅(ZEN)」。 竜田さんが最初に立ち上げたオリジナルブランド。日本文化に深く刻まれた「禅」の精神をモットーに、作り手の思いが伝わるもの作りを追求されています。

本金銀箔を施したものなどもあり、バリエーション豊かに展開される手描きジーンズ。

─そこから手描き京友禅とジーンズという組み合わせはどういう経緯で。

ちょうど和柄のブームが始まった頃で、京都ならではの技術と、流行りのものを組み合わせて新しいものを作ろうと思ったんですね。
ひとつ、自分への縛りとしたのは、勤めていた会社への礼儀上、これまでの仕入先、得意先には手をつけないということでした。そこで最初に思いついたのが、和柄を入れたベルトでした。
当時はまだ電話帳が普通にあった時代でしたから、まずは手当たり次第電話してみようと、何軒かベルトをつくっていらっしゃる会社の電話番号をピックアップして1軒めに電話したところが、ジーンズの革パッチをつくっていらっしゃって。
こんなことがしたいんだという話をするうちに、ジーンズを扱うのはどうですかと、友禅の技術でジーンズに絵を描いている人を紹介してくださったんです。

─思ってもみない方向に転がったんですね。しかしそれが結果オーライだったと。

いや、最初は既成のジーンズに友禅で絵だけを描いたものを商品として小売店に持ち込んだのですが、相手にされず(笑)。
きちんとブランドとしてやっていこうと、本場・岡山に通ってジーンズ作りから始めました。僕の原案をもとに手描き友禅で柄を描き入れてもらい「禅」が誕生したわけです。
完成した40本のジーンズを持って、専門誌で調べた和柄ものを扱っている店に飛び込み営業をしてまわりました。
幸いにも、大阪・アメリカ村と東京上野のアメ横の2店舗が、快く扱ってくれることになりましたが、そこから先が行き詰まり…。
特に地方に行くと、こちらに不利な相手の条件をのまざるをえないことも多くて。これはしんどいなと思い始めて、売り込み先をメディアに変えたんです。

─パブリシティということですか。

いやあ、当時はなんにも知らなくて、雑誌の記事広告を見て「こんなふうに載せて欲しいな」と(笑)。
僕はやりかたが汚くて(笑)「今、ちょうど前まで来ているので会ってくれ」と出版社の前から電話したり(笑)。
意味わかりませんよね、京都からわざわざ来てるのにちょうど前にいるって。そこまでしないとまともに扱ってもらえないのはわかっていましたから。
「担当者がいない」と言われても「いつならいらっしゃいますか」と食い下がって、とにかく会って話す。担当者に会えばなんとかなるという自信はありました。
その勢いで4、5社まわって、2誌が誌面に紹介してくれました。それが想像以上の反響を呼んで、そこからはもう、一気に来たという感じですね。
1年後には「禅」に合わせる革小物のブランドとして「達磨」を立ち上げ、こちらもご好評いただきました。でもこの勢いが続いたのは5年くらいでしたね。


和小物ブランドの「達磨(だるま)」。「禅」の兄弟ブランドとして誕生し、ウォレットや革小物を中心に展開されています。こちらは、亀の甲羅型の型押しが施された革を使用したウォレット「玄武」と、京念珠のウォレットロープ「玄武」。外注先に制作依頼していたウォレットは、 現在は自社生産に切り替えています。

時計作家のARKRAFT・新木秀和さんとコラボレーションした「達磨(だるま)」の手作り腕時計も好評です。

長い「迷走」の時期を越えて

─「禅」も「達磨」も根強い人気がありますが。

もちろん需要はなくならないし、アイテムも増やしています。変わらずファンでいてくださるお客さまには、本当に感謝しています。
でも和柄ブームの終焉とともに、当初のような売り上げは望めなくなってしまって。もう一度あの勢いが取り戻せる商品を、と僕自身あせったんですね。
思いつくものをどんどん形にしていきました。中には、早々に引っ込めたものもあります。ふんどしがそうですね(笑)。
いろんなメディアに取り上げていただけて、いける!と思ったのに、全く売り上げに結びつかず、頭を抱えました。そんな迷走が、結構長く続いたんです。

─アイデアを次から次へ実現させるパワーは凄いですよね。ダメだという判断はどこで下されるんですか?

「禅」の勢いを経験しているから、その手応えがないとダメだなと思います。
いま一度、禅ほどの勢いでいくものが出せないと、会社は先細ってしまう。しかも、この5年の間には、うちのメインとなりつつあった革製品の作り手が確保できずに、商品がずっと欠品状態だった時期もあったんです。
その頃は東京の職人さんにお願いしていたのですが、やはり自分たちの目が届くところでやっていくことが大事だと思いました。

─需要があるのに作れないというのは一番辛いですよね。

一時期は僕自身が縫製もしようと、習いにいったりもしました。しかしまた不器用で…ええ、これも迷走のひとつですね(笑)。
何もかも空回りした時期がありました。そんな状況を目の当たりにして、会社に自分自身の未来を描くことができなくなったのでしょう。
長く一緒にやってきてくれた社員が二人、立て続けに辞めてしまって。あの時が、一番辛かったですね。自分のやってきたこと、すべてが否定された気がして、落ち込みました。

─そんな中でも、少しずつ認知度の上がってきた新ブランドが。

立ち上げ自体は、3年ほど前になるのですが、これまでとは発想を変えて作り上げたのが「COTOCUL(コトカル)」です。
「禅」以来、京都の伝統や技術を全面的に押し出してきたんですが、それはもうあって当たり前だと思うようになってきた。
さらに一歩進んで、使う人がそれを持っていること自体を誇りにできるような、ひとクラス上のものをと提供したいと考えました。
まずシンプルなiPhoneケースを作り出したのですが、ぼかし染めの鮮やかな発色で、少しずつ評価をいただくようになってきました。


「COTOCUL」とは古都(コト)+ culture(文化)を組み合わせた造語。写真の商品は、「地生(じなま)」といわれる希少性の高い皮に、着物の染色技法で知られる「ぼかし染め」で手染めした 長財布。

黒桟革(くろざんがわ)とともに次なるステージへ

─そしてまた、運命的な出会いがあったんですね。

2015年の秋のことです。革のことをもっと勉強したくて、いろんな場所に顔を出していた時、ある展示会に出展されていた「黒桟革(くろざんがわ)」が目に飛び込んできて。
甲冑や高級な剣道防具に使用されているもので、これは面白いと思ったんです。興味をおぼえた理由のひとつに、僕が剣道をやっているということもあります。
話はさかのぼりますが剣道を始めたのは6年前、きっかけはふんどしです(笑)。なんとか売れる層をと探している時に、「剣道をしている人はふんどしを身につけているらしい」という話を耳にして、剣道の道場に売り込みにいったんですよ。
ま、デマだったことがわかるんですが(笑)。そこでちょっと竹刀を振ってみるかと言われて、やってみたら妙に楽しかったんですね。
それからずっと続けてきたことが、今回につながったわけで…まあ、人生無駄な経験はないということです(笑)。すぐに黒桟革の生産者である坂本弘さんがいらっしゃる姫路に行き、一緒にやらせていただく話がまとまりました。


黒桟革をバックに、熱く握手を交わす京でん・竜田昌雄さん(画像左)と坂本商店・坂本弘さん(画像右)。

作業をする黒桟革の生産者・坂本さん。黒桟革は姫路伝統の白なめしを施した革を染色したあと、表面に凸凹をつけます。

そこに漆を塗って乾かす作業を8~9回繰り返してようやくできあがるという、たいへん手間暇のかかるものです。しかも現在、この革を作れるのは世界でも坂本さんご夫妻ふたりだけ。

製品として仕上がった黒桟革。見る角度によって、表面に塗り重ねた漆がきらきらと輝くことから「革のダイヤモンド」と呼ばれます。

─黒桟革シリーズのデビューにあたっては、クラウドファンディングという手法をとられたんですね。

儲けは度外視で、まずどのくらいのニーズがあるか知ろうと思って。
すると、予測をはるかに超える伸びで、公開5日目にして目標金額の200%を達成、その後も凄い反響があり、これはいけるという確信を得ました。
殺到する注文に応えるには職人が圧倒的に足りなかったのですが、この時、唯一残っていた社員のTくんが意外な才能を発揮して、縫製を早くきれいに仕上げてくれるようになって。
この成長で、彼を職人として頼れるようになったのは大きな収穫でした。


黒桟革で制作した「COTOCUL」の長財布(画像左は藍染め、画像右は黒染めの長財布)。 その贅沢なまでの高級感は、「人と違ったものを持ちたい」という思いをかなえます。

いまや京でんになくてはならない職人となったTさん。「『禅』のファンだったのを、スタッフに迎え入れて。最初、営業をやらせたらとんでもなかったんですが(笑)適材適所とはこのことですね。彼にも来てよかったと思ってもらえる会社にしていきたいと思っています」。

─さらに追い風になるような嬉しいニュースも。

ええ、2016年9月にパリで開催された世界最高峰の国際ファッション素材見本市「プルミエール・ヴィジョン」で、なんと坂本さんの黒桟革が日本企業として初めて、「プルミエール・ヴィジョン賞・皮革部門ハンドル賞」を獲得したんです。
世界の頂点ですよ。現に世界の名だたる企業から引き合いもきているそうですが、大量生産はできませんから対応が難しい。
逆に言えば、僕が出会うのが1年遅かったら、一緒に商品を作ることはかなわなかったかもしれません。


黒桟革は日本初の「プルミエール・ヴィジョン賞・皮革部門ハンドル賞」を受賞。トロフィーを手にし、笑顔の坂本さん。

─まさに世界に誇れるブランドとなったんですね。

まだ業績は完全に立ち直ったわけではないし、「COTOCUL」の認知度を上げていくためには、もっと努力が必要です。
特に世界の最高賞を獲得した黒桟革のシリーズを、大事に育てていきたいと思っています。ただ、必要以上に背伸びして大きく見せることはしたくない。
僕自身、ここまでいろんなことを乗り越えてきて、自分なりにたどり着いた境地は「等身大」なんです。
「禅」を立ち上げた当初は、「すごいブランドだ」と思っていただくことがブランディングだと信じていました。商品に作り手のプライドを託していたんですね。
でも、今は違うかなと思う。そんなにいい格好しないで、「いろいろ失敗しました」「今は3人でやっています」「もう一度スタートします」って、ありのままの自分たちを見ていただくことがお客さんの安心につながっていくのかなと思うんです。

─魅力ある商品さえ作れば、それが自ら語ってくれるということですね。今、目標とされているのはどんなことですか。

「京都発信の世界ブランドを作る」、世界に認めてもらえる商品を作っていきたいという目標は、最初から変わりません。
あとは、会社の存在意義として、身近な人が潤っていかないといけないと思うので、苦しい時を支えてくれたスタッフ、得意先、それから家族にも、京でんと関わってよかったと思ってもらえるようにがんばりたい。
苦しい時期はちょうど10年の節目で、変わらないといけないタイミングだったのかなと思っています。おかげであらためて自分たちで作って自分たちで売っていくスピード感の大切さにも気づけたし、体制を今一度しっかり整えて、また前に出ていかねばと決意を新たにしています。
結局は、人々に受け入れられるものを企画し、しっかりと作っていくことに尽きるんですよね。
人生、沈むこともあるけど、沈んだらあとは浮き上がるだけ。そして浮き上がろうとする者しか浮かべない。そう信じています。結果が出るまでは、自分との戦いですね。

─光はもう見えていると思います。いっそうのご活躍、楽しみにしています。本日はありがとうございました。

そんなことまで語ってしまっていいんですか?というくらいフランクに、まさに等身大の「京でん」を語ってくださった竜田さん。
これまでのお仕事が、さまざまな縁でつながってきたのも、このお人柄のなせる技だったと納得できます。
その不屈の闘志と、時代を読む力、軽やかなフットワーク、そして受け継がれた技へのリスペクトを融合させたクリエイティブには、これからも目が離せません。

(取材日:2016年11月16日/文:ライター・森本朕世)


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