waji代表の菅野裕樹さん(右)
東京支社長の関根塁さん(左)
有形文化財に登録されている昭和初期の古民家を工房に
「保護猫支援とものづくり」「職人の技術と芸術の融合」「若手の自由な発想を熟練の職人の技術で形に」といったように、ブランドごとにコンセプトが明確なものづくりを手がける株式会社wajiさん。
大阪市阿倍野区阪南町の住宅街にあるwajiさんの工房は、昭和初期に建築された古民家で、有形文化財に登録されています。暖簾をくぐって工房の戸を引くと、代表の菅野裕樹さんと、東京支社長の関根塁さんが出迎えてくださりました。
建物の中は日本人なら浪漫を感じずにはいられない、おしゃれ、住んでみたいと思わず口にしてしまうほどにムードのある空間。 2階にはミシンや革漉き機などの設備や道具が多数揃えられ、職人さんたちが商品制作に日々取り組まれていて、リアルなものづくりの現場がそこにあります。
大阪阿倍野区阪南町に佇む、wajiさんの工房。
工房であるこちらの古民家は有形文化財として登録されています。
古き良き建築物が醸し出す雰囲気の中で、職人さんたちが働きやすく快適な環境をつくられています。
代表と職人、2人から始まったwaji
wajiさんのはじまりのブランド「aruci」(アルチ)。
シザーケースやエプロンなど、ヘアスタイリストのためのセミオーダーブランド。
ーwajiさんの沿革に関して教えてください。
wajiは2016年1月21日に、私代表の菅野と職人一人の状態で大阪府堺市からスタートしました。最初はヘアスタイリストさん用のシザーケースやエプロンがセミオーダーできるブランド「aruci」(アルチ)から始まりましたが、現在は様々なブランドを展開しています。
デザインは主に私(菅野さん)が担当し、スタッフの職人に作ってもらっています。 職人には20代の若いスタッフも多数おり、いずれは独立したいという熱い思いを持っているスタッフもいれば、既に独立し、週何日かwajiで働いてくれているメンバーもいます。
─ヘアサロンで働く方たちのための商品から始まったということは、美容業界に元々興味があったのですか。
はい、私も元々は美容師になりたいと思っていましたし、スタイリストは扱う道具の一つ一つにこだわりがあるということもよく理解していましたので、ニーズに応えられる商品を生み出す自信がありました。
いきなり鞄などの市場に参入するのは難しいと思っていたので、この分野はまだブルーオーシャンだと判断したことも理由の一つです。
ものづくりを通じた保護猫支援を目指すブランド「aoneco」(アオネコ)
大人かわいいデザインが人気の「aoneco ロングがま口ウォレット」。
─現在、クラフトカフェでは、「aoneco」(アオネコ)、「glart」(グラート)、「alter」(アルテ)の3ブランドを取り扱いさせていただいています。
aonecoは2021年に立ち上げたブランドで、「全てのネコが隙だらけに眠れますように」がコンセプトです。私自身、2匹の保護猫との暮らしの中でたくさんの幸せをもらっていて、ものづくりの会社を経営する立場として、猫たちのための支援ができないかを考え、生まれたブランドです。
aonecoの商品には、商品代金の約10%を保護猫カフェやNPO法人に寄付できるクーポンが付いていて、購入者様自身で施設や団体を選んで寄付することができ、寄付金がどのように使われたのかもSNSで配信しています。ブランドとして猫たちに継続的な支援ができ、購入者様とっては透明性があって納得していただけるような仕組みになっています。
aonecoのデザインは主に私が担当していて、かわいくなりすぎないように、さりげなく猫のシルエットやパターンを使い、年齢を問わずお使いいただけるようなデザインの商品を展開しています。今では、wajiが展開するブランドの中で一番人気が高いですね。
─とても素晴らしい試みだと思います。商品のクオリティもとても高いですね。
チャリティーアイテムだからとクオリティを下げるのはどうしても嫌だったんです。寄付分も考えると、原価率が高いのも事実で、開発当初は革や金具のメーカーさんと共に原価を抑える方法を模索しておりました。
素材メーカーの皆さんの協力もあり、私たちにとっても納得のゆく、確かなクオリティのものを制作しながらも、猫たちへの寄付分も確保することができました。
wajiでは猫好きのスタッフが多く、福利厚生の一環として「猫カフェ訪問」もしています。猫好きがつくっていることも、aonecoの強みだと思います。
割れないステンドグラスが美しい「glart」(グラート)
「現時点でwajiの最高傑作だと自信があります!」と仰る、glart(グラート)。
こちらはglartのスマホケース。
─glart(グラート)のアイテムは、ステンドグラスのデザインが華やかですね。
このステンドグラスのパーツは、本物のガラスなんです。ステンドグラスがはめこまれたアンティークなドアが好きで、そんな革小物をつくりたいと思ったのが始まりです。
関根の親戚が経営する富硝子というメーカーさんと、何度も試行錯誤して生まれました。
glartのコンセプトは「職人の技術と芸術の融合」なのですが、完成までに1年半かかり、現時点でwajiの最高傑作だと自信があります。
こだわりの特注防風ガラス。
クラフトカフェで販売中のglartの商品は、これまでに一度もお客様からステンドガラスが割れたというお声を頂いておりません。
革小物に本物のガラスを使うことは、耐久性の点で難しいという問題がありました。ガラスが割れて、お客様がケガをしてしまうことがないようにしないといけません。
ステンドグラスの耐久性の問題を解決するために、ガラスでなくアクリルにしたら良いんじゃないかという案もありました。すごく現実的な落とし所なのですが、それだとおもちゃのような、チープな仕上がりになってしまうという懸念がありました。
やはり本物のガラスでないとステンドグラスの美しさは再現できないと思い“飛行機の窓ガラスに使われている加工”を得意とする加工所で仕上げたガラスを採用することで、2018年にようやく商品化することができました。
特注の防風ガラスのステンドグラスは耐久性にも問題がなく、これまでに一度もお客様からステンドグラスが割れたというお声をいただいておりません。
─とても華やかで高級感が溢れる、ずっと使っていたくなるようなデザインですね。
関根さんが実際に愛用している手帳型スマホケース。元は赤色でしたが、今は艶のあるレンガ色になっています。年月を経て、また違った表情を見せてくれます
glartのアイテムはパーツ数が多く、制作に手間がかかりますが、1点1点、丁寧に仕上げられています
若い職人と熟練の職人のコラボレーション「alter」(アルテ)
次世代を担う若い職人がものづくりが主役に。敷居なきものづくりのブランド「ulazan」(ウラザン)のバッグシリーズ「alter」(アルテ)
─非対称なデザインのバッグが特徴的な「alter」(アルテ)に関しても教えてください
若い職人たちが自分のアイデアを具現化できるような、そんな機会を作りたかったんですが、そうしてできたのが「alter」というブランドになります。 こちらは創業後しばらくしてから立ち上げたブランドになります。
鞄のデザインを例にすると、若いスタッフから直線のデザインだと持ちにくいという意見が出て、このように曲線のデザインにしてみたところ、機能性に加えて視覚的にも個性あふれる仕上がりになりました。
商品の開発にあたっては、若い職人だけで全てを手がけるわけではなく、熟練の職人が使い勝手など確認・修正をしますので、個性的かつクオリティも申し分ないという自負があります。
─若い人も意見を気軽に出せるのはとても良い環境だと思います。
実際に若い職人の柔軟な意見にはハッとさせられることも多々あります 若い職人と熟練の職人のコラボレーションの結果、様々な商品が生まれ、テレビドラマの中で女優さんに使っていただいたこともあるんです。
ドラマで使われた「alter ulazan 撥水キャンバス トートバッグ」
画家の叔母から受けた影響、そして美容師を志す
─それでは、続いて代表である菅野さんに関してお聞きします。子どもの頃からものづくりを仕事にしたいという思いがあったのでしょうか。
ものづくりに興味を抱いたのは、子どもの頃、画家で絵画教室を運営している叔母の影響が大きかったと思います。とは言え、子どもの頃は絵を描くことよりも外で遊ぶことや、ピアノも習っていたので音楽とか、興味はどちらかと言うとそれらの方に向いていました。
小学生の頃に絵画教室に放り込まれた時は、嫌になって途中で逃げ出したほどですから(笑)
─叔母さんの指導は、逃げ出したくなるほど厳しかったのですか?
叔母の指導は、普通に描くと怒られるという、子どもにとっては中々厳しい指導法でした。きちんと描くものを想像することをよく言われたような気がします。
叔母の絵のスタイルも少し独特で、夢で見たものを描くというような人でしたが、叔母の指導やスタイルは今の自分に大きな影響を与えたと思っています。
wajiの商品デザインの多くは僕がしているのですが、叔母からも高評価を頂いていて、叔母の絵画教室に僕の作品を飾ってくれているんですよ(笑)
─叔母さんから認めてもらえたのは嬉しいですね。その後もずっと叔母さんの元で絵画を学んでいたのですか?
いえ、学校ではサッカー部に入っていましたし、高校生の頃にはバンドも組んでいたので、絵画とは無縁の生活が続いたと思います。高校卒業後は、美容師になることを考えていました。
当初は美容師を志していた菅野さん。座敷の奥にはギターが飾られ菅野さんの趣味が伺えます。
─美容師ですか!美容師として働く菅野さんの姿も見てみたいですね。
でも結局、美容師にはならなかったんです。 英語が話せて海外で活躍するような美容師になりたかったのですが、外資系企業の美容師留学プログラムへの参加を検討していたら、学費が年600万円もかかると言われてしまって、これは無理だなと(笑)
専門学校を卒業した後は大学に編入学して、そこでインドネシア語を専攻し、言語や伝統芸術について学びました。大学在学中に一年休学して、オーストラリアへワーキングホリデーにも行きました。
─オーストラリアでのワーキングホリデーは、今も日本の若者に人気があるようです。
そうですね。当時はスマホもなく、電子辞書を持ち歩いて現地の方とコミュニケーションを取っていましたし、仕事探しもレジュメ片手に日本食レストランに飛び込み営業のような形でやっていました(笑)オーストラリアではアマチュアのサッカーチームにも入団しましたし、色々と濃い経験ができたなと思っています。
日本に帰国してからは、なんだか人が変わったように真面目になりまして(笑)大学の講義も一番前の席に座って、真面目に受けていました。
大学を卒業してからは専門商社に入社し、エスニック製品を扱う事業部で様々な仕事を任されました。
サラリーマン時代の海外経験、独立の転機となった勤務先の突然の倒産
─そこでのお仕事はいかがでしたか。
学生時代に所属したサッカー部でキャプテンを任された経験や、ワーキングホリデーでの体験などから、とにかく根性には自信があったんです。ですから、社内ではみんながやりたがらないことを進んでやって、周囲の信頼も得ていたと思います。
でもやっぱり海外志向が強くて、海外を飛び回るような生活への憧れを捨てきれず、26歳の時に転職を決意しました。
─なるほど、その後のキャリアはどのようなものでしたか。
転職先は100円ショップの商品を扱う会社で、バイヤーとして働いていました。仕事で中国や南アフリカなどを訪れ、海外を飛び回るという夢は叶えられました。
仕事はやりがいに溢れていましたが、大量生産したものを売るというビジネスとは対照的な、職人の丁寧なものづくりの良さにも気づき、職人として働いている友人の伝手を頼って、今度は鞄を販売している会社に転職しました。
そこでは生産管理として働いていたので、その会社でも生産現場の視察という名目で海外を訪れる機会がありました。
とても良い会社だったのですが、僕が入社して1年後、突然会社が倒産することになったんです。その会社では大きな事業の管理を任せてもらえるまでになっていたのですが、倒産の知らせを聞いた時は本当にショックでした。
その後、その会社は買収されてなんとかなったのですが、自分の無力さを痛感しました。役職にも就いていたのに、突然の状況を前に何もできないんだなって。
もともと会社員時代から許可をもらって副業をしていましたし、そこからは資金調達はもちろん、自分に足りない知識やスキルを習得すべく、独立を目指して死に物狂いで準備をしました。そして約2年が経った頃、機が熟したと判断し、法人設立に至りました。
関根を含め、waji社員数名との出会いは、その会社の時の同僚です。独立の際に一緒についてきてくれた職人とは、その会社で出会いました。 その後、会社を退職した人たちもwajiに合流してくれて、社員やパートとして頑張ってくれています。
寛ぎのkitchen&cafeスペース。お茶だけでなく料理もします。
蔵を改装して展示スペースに
決して順調ではなかった黎明期
─ついにwajiを創業されたんですね。黎明期はどのような状況でしたか。
最初は美容師が使うシザーケースを作っていましたが、これがなかなか売れなくて(笑) 注文が月に1つだけとか、そんな日々が続きました。職人の給料だけは絶対に払わなければならないと思い、様々な展示会に出席して、うちとOEM契約(相手先ブランドでの生産契約)をしませんかと、色んなメーカーにお願いしました。
他にも北欧(スウェーデン、デンマーク)やイタリアなど、ヨーロッパのサロンにもアプローチをしてみたんですが、デンマークのサロンを直接飛び込み営業のような形で訪ねた際、そこで値段を言ったら「安っ!買うわ!」と(笑)
─海外のサロンは認めてくださったんですね
値段はヨーロッパの人々にとってはすごくお値打ち価格で、またメイドインジャパンというクオリティへの信頼もあったんじゃないかと思います。日本の製品が海外で評価されたというのは、1人の日本人として私も誇らしく思います。
日本製品の良さは、お客様に売って終わりではなく、お客様に永く使って頂けるための工夫がされているところだと思います。例えば、経年劣化をしてくるとここの部分の縫い付けが甘くなるからここはダブルステッチにしようとか、そういうところですね。 そのような細やかな部分が海外での人気の理由だと思います。
海外にもwajiの思いが届くように
─現在のwajiの状況はいかがですか。
私のモットーとして、自分たちのプラスになるのであれば、仕事を選ばない・断らないというものがあります。どのような仕事の依頼もありがたくて、すべてに真摯に取り組んで来た結果、堺市に指名していただき、使われなくなった消防車のホースや、テニスボールの表面に使われるフェルトをアップサイクルした商品開発なども手がけています。
堺市のテニスボール製造メーカー提供の、試作素材のフェルトを使ったトートバッグ
また、aonecoプロジェクトによる保護猫支援に多数の方が興味を持ってくださっているようで、いきなり知らない番号から電話が掛かってきて、「あんたらの活動、ええやん」とお褒めの言葉をいただいたこともあります(笑)
─ちょっとびっくりしますが、お褒めの言葉をいただけるのはとてもありがたいですよね。wajiはaonecoプロジェクトを通しての保護猫支援活動のほか、視覚障碍を抱える子どもたちがスポーツをするための環境作り(※1)の支援も計画中と伺いました。チャリティーに積極的な理由にはどのようなものがありますか。
僕がいろんな事に感情移入しやすいからだと思います(笑) とは言え、それらの活動は僕たちからの一方的な支援だとは思っていません。例えばaonecoプロジェクトで言うと、僕たちと猫たちはWIN-WINの関係だと思っています。具体的には、aonecoの商品を買えば猫たちの幸せに繋がるという事実が、お客様の購入しようという気持ちを後押ししてくださっているような感じですね。そのように持ちつ持たれつという関係が、とても心地よく感じます。
─最後に、今後の展望を教えてください。
wajiの社名には「和(wa)の地(ji)」という意味を込めていて、自分たちのものづくりを日本だけでなく世界にも届けたいという「我(wa)の路(ji)を築く」という思いも込めています。国内市場を開拓しながらも、同時に海外展開を見据えた展開をしていきたいと思っています。
すでにaonecoの商品は台湾のお客様からご注文や問い合わせが入っており、今後はシンガポールなど他の国にも販路を拡大するべく励んでいます。世界中の方に愛される商品を作り続けられるように、皆で団結して励みたいと思っています。
(※1) wajiは視覚障碍を抱えるプロサッカー選手・松本光平選手とスポンサー契約を結び、松本選手と共同で視覚障碍を抱える子どもたちがスポーツをすることができるような環境作りのためのプロジェクトを運営予定。
─取材を終えて
工房には豊富な調味料が並べられたキッチンがあり、代表の菅野さんが社員さんに料理をふるまうそうです。菅野さんはみんなで「同じ釜の飯を食べる」ということを大事にされていて、社員の誕生日には工房でパーティを開くこともあるそうで、とてもアットホームな工房でした。 取材を終えて工房を後にする際に、wajiの皆さんから取材班へかわいいお土産をいただきました。 いただいたのは消防車のホースで作られたキーホルダーとaonecoのチャームにドリップコーヒーで、皆様の温かいおもてなしに胸が温かくなりました。wajiの皆さんの思いが、職人技が世界中に届くように、ずっと応援しています。
株式会社waji 沿革
大阪・阿倍野区の築100年の古民家を改装したアトリエを拠点に、革製品を主に製造・販売しているプロのものづくり集団。
『アンティークなドア』が好きな代表の菅野裕樹さんと、『硝子加工所』出身の関根塁さんが出会ったことがきっかけで代表作の「glart」が完成。
2016年1月 ヘアスタイリストが扱うシザーケースやエプロンのブランド「aruci」をスタート。その後、敷居無きものづくりブランド「ulazan」/アシンメトリーシリーズ「alter」スタート、ジャンル無きセレクトストア「waji exhibit store」webサイトをオープン。
2020年 旧硝子加工所を改装した、物流と商品仕上げ機能を有した東京オフィスへ移設(江東区猿江)。
2021年5月 ものづくりで保護ネコ支援ブランド「aoneco」スタート。
2021年11月 ジャンルレスな試みとして、大江戸線・清澄白河駅から徒歩2分の場所にセレクトショップ「ジャンル無き展覧会」をオープン。
2022年8月 現在の工房である、有形文化財の古民家へ工房を移設(阿倍野区阪南町)。
2021年11月 ジャンルレスな試みとして、大江戸線・清澄白河駅から徒歩2分の場所にセレクトショップ「ジャンル無き展覧会」をオープン。
右:代表取締役 菅野裕樹(すがのゆうき)さん
1983年10月生まれ 大阪府出身
幼少期より画家である叔母の絵画教室に通い、水彩画、造形デザインを学ぶ。大学では主に少数民族の伝統芸術(特にインドネシアのろうけつ染め)を研究。在学中にワーキングホリデーでオーストラリアに1年滞在。世界の物産(エスニック系の衣料、雑貨、家具、コーヒー豆など)を取り扱う専門商社に入社。エリアマネージャーとして、店舗運営、新店開発、デザイン、イベント立案などを担当。その後、生活雑貨を取り扱う商社に入社、100円均一ショップ部門のバイヤーに。老舗バッグブランドを運営する企業に入社、主に国内外の生産管理を担当。2016年waji設立、代表としてデザイン及び生産管理を担う。大阪阿倍野区に工房兼ギャラリーを、東京・清澄白河にストア兼プレスルームを開設。
左:東京支社長 関根塁(せきねるい)さん
1980年10月生まれ 東京都出身
祖父と大叔父が営む硝子加工所のある東京下町で生まれ育つ。工業高等専門学校からファッション系の専門学校へと移り、MDやファッションビジネスを学びながら、アパレル販売業に従事。卒業後は子供服メーカーで営業として、店舗運営や新店開発、等に等に携わり、その後予てからの憧れであった革の業界へ。職人と工場を抱える老舗バッグメーカーの営業へ転職。営業として全国へ飛び回り、その傍らでバッグクラフトスクールへも入学。ものづくりを販売現場と製造現場の両視点を学んでいく。 同メーカーで共に社員であった菅野と出会う。菅野裕樹の目指すものづくりに魅力を感じ、wajiの創業から携わっていたこともあり、2018年にwajiへと本格的に移籍。